もうすでに遠い過去となってしまった話

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ブログ村は、あまり前向きな記事は好まれない傾向にあるようで、皆さん、暗い話がお好きだから。(カテゴリーにもよりますけどね)

 

 

20代は上京して、親元から離れることができ、彼氏もできていたため、幸せだったんじゃないか、と思われそうですが、表面上は明るかったですけれど、
上京し、改めて、自分が社会のどの位置にいるのか、さまざまと見せつけられてしまい、悲しみと怒りで、苦しみました。

(当時、抑うつがすごかったです。身体が重たい。地球の重力を常に感じ、息をするのがしんどい、そういった状態で、生きていくために働いていました。)

 

私の父と母は、子どもがいることについて、あまり頭に無かったようです。

 

 

田舎特有の地縁の見合いで決められてしまった結婚だったので、母は父が最初から嫌いでしたし、父は自分を敬ってくれない母を憎んでいました。(父の弟、叔父達二人は男前で、父と違ってしっかりしていたため、母は上の叔父か下の叔父のところに嫁ぐのだとばかり、思っていたとのことです。父と会った時、「騙された」と思ったとのこと。)
賢兄愚弟ではなく、愚兄賢弟ということで、父は昔からコンプレックスの塊で、非常に厄介な人でした。

幼少時に、父のあたりがあまりにも酷かったので、物心つくようになった頃に、
「私は、やはり、父の子じゃないんじゃないか?」と思うようになりました。

がー、近視が進んで眼鏡をかけるようになったら、父に風貌が似てきてしまい、
「なんだ、やっぱり父の遺伝子が入っているよ。」
と安心したような、がっかりしたような気持ちになったことを覚えています。

かといって、父が私を自分の子として見てくれるようになったわけでもなかったですけど。

母は父が大嫌いで、父の子である私のことも嫌いでした。(直接それ言われました。ハイ)

小難しい本を読むようになった思春期、父親母親というより、お互いを女、男として見ていない両親を気持ち悪く感じるようになりました。

地元の進学校に入学しても、父も母も喜びませんでしたし。(喜んだのは他の人達)

特に母は、その頃には、離婚したくても父が了承しないため埒が明かないと、家を出る準備をしており、

(子どもがどうなっているか関心がなかったんですね。まあ、私は一人淡々と勉強してましたけれど。)

私の高校入学と同時に、好きだった男と手を取り合って家を出てしまうわけです。

 

 

父は荒れる、荒れる。

 

嫌われたくなければ好かれるような行動をとればいいのに、逆なんですよ。子どもみたいに、問題を起こせば戻ってくるんじゃないか、とそっちのほうに考えが行ってしまうらしくて。(自分の親ながら頭が悪いよなあ、と思った。)

父方の祖父母はすでに亡くなっており、私のことを心配したのは叔父達家族と母方の祖父母でした。(マシだったのは父はお酒が弱すぎて飲めない体質だったらしくアル中ではなかったことくらい。荒れる時は仕方ないんで、叔父の家に避難してました。)

ホントーにしょうもない話です。

私も家を出てしまった後、本当の一人になってしまい、最初は一人で荒れていたようです。

誰も相手にしなくなって、初めて、己の愚かさに気付いたようでしたけどね、

愚かさに気付いても、行動は変えることはできなかったようでした。

母方の祖父母も相次いで亡くなり、父方・母方の祖父母のお墓参りもあり、年に一度は実家に戻っていました。

私はすでに父と母を突き放して見ていたので、

「責めるようなことを父と母に言うのは、レベルが同じになるからやめよう。自分のプライドが許さない」

と思っていました。

(後で、カウンセリングを受けた時に、カウンセラーの人に「健全な成長の仕方ではなくて、≪歪みをもったまま≫無理に大人になってしまったようですね」と言われた。そんなこと後で言われてもねえ。だから、どうしろと言うんでしょうねえ。笑)

結婚を考えてくれた男性と別れた時、一人で生きていこうと決めた30手前のある日、実家に戻った時に、父に、淡々と、今まで私がどう思って、どう考えて生きてきたのか、父を責めずに静かに語りました。

そうしたら、いつも、真っ赤になって怒っていた父が、突然、困ったような、悲しい顔になり、

「子どもがそんなことを考えていたなんて、わからなかった。」

と言い出しました。

 

あ~、あー。

 

と私は私で、悲しくなりました。

 

やっぱり、この人は弱い人なんだなあ、と。

仕方ないなあ~。

と思うしかなかった。

 

その後です。

父が行方不明になってしまったのは。

その後、私はずーっと、罪悪感で苦しめられました。

母については、母方の祖父母が亡くなってからは縁が切れたような状態となり、何故か父方の叔父達にも母方の親戚からも、「離婚して、違うところで奥さんになっているから、連絡は取らないほうがいい」と言われ、家を出た後には会っていないです。

父のことについて、叔父達に諦めるように言われました。(どこかで一人亡くなっている可能性が高いです。もう、失踪宣告を受けています。相続は放棄しました。負債しかないだろうから。あの時は田舎の叔父達にいろいろと助けてもらいました。)

 

 

まあ、考えようによっては、あれ以上余計な問題に巻き込まれずに済み、良かったのです。

このことを話したのは、例の「離れてしまった友人」と「年上の友人」だけです。

 

 

介護の仕事は(20代は措置制度で、障がい者・障がい児も担当していた)、あの仕事は私にとって、自分の生き方・考え方をどうしたらいいのか、教えてくれた仕事でもありました。

問題を抱えていても、明るく逞しく生きている方達は沢山います。

(というと、優等生発言ですね。)

本当のところ、

私は、親の老後・介護問題で悩む必要がないのだと、気づかされました。

結局、人生、プラマイゼロです。よく出来ています。

 

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今回も、お忙しい中、読んで下さりありがとうざいました。

暗い話は、これでおしまい。

かといって、これから明るい話ばかりとなるわけでもなく、今後のことは、

日々淡々と、その時その時、自分にできることをやって、積み上げていくしかないです。

 

ボチボチとやって行きましょう。

 

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