終戦記念日です。

HSPの本の件ですが、とりあえず、次の機会にでも記事にしようと思います。(すいません。読み直してみたら思った以上に深い内容で抜粋して紹介するのが難しいです。)

血の繋がりがない大伯父の話をしたいと思います。とはいえ、会ったことがありませんし、大伯父のことを知っている人はもういません。ただ、実家の仏間に飾られていた遺影をよく眺めていたので、顔だけは知っています。

 

血のつながりがない大伯父は戦争で亡くなりました。

 

私も事情は良く知りません。

知っていることは、父方の曽祖父母の間には息子さんが一人しかいませんでした。

その一人息子が前回の大戦時に召集令状が来て、戦争に行ってしまいました。

どこで亡くなったのかどういう亡くなり方をしたのか、私は知りません。

ただ、知っていることは戦争で一人息子を亡くした曽祖父母は、祖父を養子に迎えたという話だけです。

祖父は曽祖父母の子どもとして迎えられたのではなく、〇〇家をいう家を絶やさないため、年老いた曽祖父母の面倒を見るために養子となったようです。

そうして、祖父は父の母(私の血のつながった祖母)と結婚することになります。

が、どういう経緯があったのかわかりませんが、父の母と、曽祖父母は折り合いが悪かったようです。

父が幼い頃、父を置いて家を出てしまいました。

曽祖父母は、私の想像なのですが、家を継ぐ長男・家督が居なくなることを好まず、父を手元に置かせて、祖父と父の母を離縁させたようです。

その後、後妻となる人が家にやってきます。その後妻さんが、産んだ3人の息子さん達(叔父さん達)が皆、男前で出来が良い三兄弟でした。

そして、父は疎外感を味わいながら育つことになります。

 

 

大伯父が死ななかったら、戦争に行かなかったら。

 

祖父は養子にならずにすみました。

不幸な結婚をせずにすみました。

父は生まれませんでした。

何も知らない小さな子供の父が、歩いて隣町に住む実母の家に行き、

その家の周りを歩きながら、母親を呼んで泣くこともありませんでした。

この話は私が大人になってから聞いた話です。父の母親は決して、家から顔を出さなかったそうです。(大人になった私が思うに、いろいろな大人の事情があったのだと思います。不在だったのかもしれませんが、もし、家の中で、自分のお腹を痛めて産んだ子どもが泣き叫んでいる声を聞いていたとしたら、気が気でなかったと思います。でも、戸を開けることはできなかったのだと思います。)

そうして、

時は流れました。

曾祖母が亡くなり、曽祖父が亡くなり、叔父達が独立して家を出、父は母と結婚をし、祖父が亡くなり、私が産まれ、私と血のつながらない祖母が亡くなり、愚痴と不平不満を言う父が嫌いだった母は何度も家出を繰り返し、とうとう家を出てしまい、一人娘の私も家を出、

父は一人となりました。

そうして、父もいなくなり、

曽祖父と曾祖母が守ろうとした家には、

誰もいなくなりました。

 

その後、その家は無くなってしまいました。今は更地です。

幼い父が泣き叫んだという隣町の父の母親の家もありません。今は更地です。

 

 

 

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今回も、お読み頂き、ありがとうございました。