写真は、フォトACえたばりゅさんよりお借りしました。

本格的な秋になっていますね。

 

だらだら文章ばかり書いてしまい、申し訳ないです。

グーグルアナリティクスを久しぶりに確認して見ましたら、

読んで下さっている方達がいらっしゃいまして、

ただのライフログになっていて、「中身がなくて申し訳ないなあ」と思いました。

お時間頂き、ありがとうございます。

 

絶対に「メシウマブログ」では終わらせないぜー。

 

人生の前半にいろいろなことがあり過ぎて、

後半は、もうあれ以上に悪いことは起きないだろうと思っています。

(ちゅかね、先回りで計算し、悪いことが起きないように、自分にとってのリスクとなる要因を排除しまくった結果という。笑)

それにしても、だ、

なんで、こんなに精神的な余裕がないのか・・・、

くうー。

 

隙間時間読書 「ワーキング・プア~アメリカの下層社会」

 

 

ワーキング・プア~アメリカの下層社会(amazonより)

 

一人の民間人が、改造した銃を乱射して58人も人を殺す、なんて、日本では考えられないことです。殺人を犯した人間の背景がISやテロとは全く関係が無かったところに、アメリカ社会の底知れぬ闇の深さを感じます。

こんなことになっても、なお、銃規制に行かないところがアメリカで、「さすが、原住民を追い出して勝手に国にしてしまったとこだわ」と思いました。(歴史なので、それが倫理的にどうとか、他国の人間が言える問題ではないけどね)

出版社は「岩波書店」で、

2007年発行なくせして、一頁に2段、ぎっしり文字だらけ。

読む側を選ぶ本だわ、と思いましたが、書かれている内容はルポで、最下層で貧困にあえぐ人達の生活が紹介されていて(自己責任とは簡単に言えないと私は思うのだけれど)、

内容としては難しいものではなく、貧困に対する国や行政の姿勢・施策、アメリカンドリームなんて昔々のお話で、ヨーロッパよりもっと厄介な「階級社会」がある現実が描かれています。

(歴史がある欧州はその点違う。階級社会であったり、人種差別がなおある、といってもヨーロッパは熟成されていると思います。日本だって歴史がある国なのだから、アメリカの底の浅いイケイケ資本主義ばかり崇めるのではなく、ヨーロッパの老成された感のある落ち着きを少し見習えばいいのに、と思ったりします。)

アメリカ発の自己啓発本はたくさんあるのですが、

この本を読みますと、「自己啓発本」を読んでいる層がアメリカではいかに恵まれている階級の人達なのかがよくわかります。

 

体制側にいる援助職の人間の福祉マインド

 

一応、私は社会福祉士の資格を取得していて、

とある福祉系大学の通信教育課程を修了していて、試験勉強で「福祉マインド」なるものを勉強していました。

措置時代にすでに介護業界で仕事をしてきて、介護保険がスタートしてからはケアマネの仕事もしてきましたが、

ことさら、「福祉マインド」を強調しなくても、人が人を援助する、ということはもっと素朴なものだと思っていました。もちろん、専門職でお金を貰っている以上は、素人の方よりいろんな知識と技術を持っていないとなりませんけどね。

小難しい知識を得るたびに、「福祉の世界」は奥深いものがあるなあ、と思いつつ、

「福祉」が専門職になっているのは、資本主義という体制の社会でこぼれ落ちた人達がいるからなわけで、

私は左の人間ではないですが(正直いうと、共〇党関係の方達に嫌な思いをしたことがあるので、あちらの方達は嫌いです。)、

こぼれ落ちる人達がいなければ福祉も存在しないのになあ、と思ったりしました。

(関係のないようなあるような話で、ISが産れたのだって、元々は大国の強欲が招いたことです。よその土地で自分たちの私欲を優先させてきた結果がこうなった。まあ、支配者層の強欲に被支配者層の無知の強欲が迎合してしまったからともいえますけど)

 

話を戻して、

「ワーキング・プア~アメリカの下層社会」の本で、

援助職の人が、被援助者の抱えている傷をえぐるような言動・行動をしている様子が例としてあげられていたりして、

あの世界で、勘違いしている人達っているからなあ、とイヤーな気持ちになりました。

私が福祉業界で仕事したくなかったのは、勘違いしている人達と話し合うというのが面倒くさいという理由もあったからです。

私自身が、精神的に病んでいる部分があり、完全無欠な健常者(これ嫌味で皮肉。笑)ではないので、「私はなーんにも負い目がありません。清廉潔白、完全無欠な健常者です」といった顔で、援助職の仕事をしている人達が、苦手、というのがあります。

(でも、だからといって、弱さを武器にし続けてしまっている被援助者側の人間にもなれないなあ、となっております。すいません)

 

通信教育のスクーリングで、就労支援の仕事をしている方達と知り合い、話をした時、「きつい仕事だなあ」と思いました。

仕事に就かせることが目的ですから、どんな仕事であれ「選り好みするな!」となってしまうのもわかるのですけど、

でも、なーんとなく腑に落ちないところがあって、

人間は平等ではない、と私は常々思っているのですが、

経済的な平等もないし、能力的な平等も正直ない、と思っていて、

もし、貧困に陥っている人でも今がそうであるだけで、もしかしたら本当は能力があって、

その能力を発揮できる仕事を選んで就けば、貧困から抜け出すよりもっと進んで「高収入を得る」ことも可能になるのでは?

と思うのです。

高い収入を得れば、納めてくれる税金も高くなりますし。

「仕事を選ぶな!」と恫喝して、能力があるのに安い賃金の職に就かせて、納める税金を安くさせるより、

その人の能力のアセスメントを適正に行って、能力が高ければ高いなりの「仕事を選ぶ」ことで、少しでも収入が高い仕事についてもらって、

納める税金が高くなれば、そっちのほうがいいんじゃないの?

って、思うんですけどね。

 

生活保護のケースワーカーさんとか、就労支援の福祉職の人達とか、生活保護の受給額をどのくらい減らせたか、どのくらい仕事に就かせたか、数値目標があると思うのですが、

目先の数値目標で囚われて(その時だけの対症療法しかしていない、できない)、その目標をクリアするのに、精一杯で、何が大切で重要なのかを考える余裕が無くなっているんだろなあ、とは思います。

(でも、躁鬱で治療している人が、就労支援をしている精神保健福祉士に「そんなに元気なら働けるだろ」と嫌味を言われた、という話を聞いて、

「精神保健福祉士、精神疾患の勉強、本当にしたのかよ」と同じように躁鬱Ⅱ型で心療内科に通っている私は、個人的にムカつきました。笑)

 

「福祉マインド」より「おたがいさま」という感覚が好きだ。

 

 

リクルートという企業で仕事してきて30歳で退職し、就労支援のNPO法人を立ち上げたという方の講演会を聞いたのですが、

「“福祉!福祉!”と福祉の勉強をしなくても、他業種でビジネスの仕事をして来た人のほうが、被援助者に対してマトモな対応して、ちゃんと能力のアセスメントもして、就労支援につなげさせることができるんじゃないか?」

と思いましたよ。

その方、NPO法人を立ち上げることで、収入が1/3になったそうですけどね。

ご家族も一緒にNPO法人の活動の催しものに参加して、ニコニコしている写真をスクリーンに出していて、

「福祉マインド」を強調しなくても、ただ困っている人を助けて、自分も困ったら助けてもらう、といった、昔からあった「おたがいさま」といった感覚がそこにはあって、

私としたら、こっちの感覚がいいなあ、と思いましたけどねー。

 

いい天気だな~。

今回も読んで頂きまして、ありがとうございました。

 

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